飛天御剣流




一方薫は、窮地に追いやられていた。住み込み奉行喜兵衛は、「人斬り抜刀斎」と名乗る男
―――伍兵衛というらしい―――の兄だった。比留間兄弟の目的は、土地の剥奪だった。
薫が突然の展開に戸惑っていると、弟の伍兵衛が沢山の輩を連れて道場へやってきた。
必死に応戦するが、伍兵衛の前に虚しくも敗れ去り、伍兵衛に胸倉をつかまれて持ち上げられた。
その隙に喜兵衛が薫の指を切り、無理矢理捺印を押させて、もうすべてが終わってしまったかのように
思えた。――が、しかし。

「つ…強え…」

伍兵衛が入ってきたところから、青ざめた顔の男がフラリとやってきた。
一斉に注目がそちらへ注がれる。
そして――男はバタリと倒れ、後ろから

「流浪人…!」

が現れた。
いつもどおり愛想のない無表情の顔でいる。が、明らかに瞳に宿るものが違った。
今は、怒りに燃えている。そのように思えた。

「遅れてすまない。話は全部コイツから聞いた…。」

一歩、一歩、伍兵衛へ歩み寄る。伍兵衛は眉を寄せて苛立たしげに「また貴様か。」と呟く。

「貴様もこの小娘同様、”人を活かす剣”なんぞほざくつもりか?」

ハン、と鼻で笑う。はしばしの沈黙の後、いや。と否定の言葉を述べた。

「剣は凶器、剣術は殺人術。どんな綺麗事やお題目を口にしてもそれが真実。」

淡々と告げるに、薫の顔がゆがむ。鋭利な刃物で胸を抉られたように心が痛い。
剣は凶器に、剣術は殺人術か―――。判ってはいたけど、それでも心が痛い。

「神谷薫の言っていることは、一度も己の手を汚したことのない奴が言う甘っちょろい戯言だ。」

伍兵衛の顔が不敵に笑んだ。
ズキズキと胸が痛む。これは、胸倉を掴まれているからじゃない、心が悲鳴を上げているからだ。
父の志が、”甘っちょろい戯言”といわれている。怒りよりも、悲しみのほうが強い。

「だけど、僕はそんな真実よりも、君の言う甘っちょろい戯言の方が好きだ。」

ニッ、とちゃんとした笑顔で言う。思えば、はじめてみたまともな笑顔。
薫の胸はぎゅーっと締め付けられて、思わず見惚れた。
真実よりも、甘っちょろい戯言…。薫は、救われた気がした。
本当は、怖かった。活心流なんて、甘いんだよ。といわれることが。だが、認められた。
胸からこみ上げるこの感情は、なんなんだろう。

「願わくば、これからの世はその戯言が真実になってもらいたいところだ。」

その言葉に、比留間兄弟が眉間にしわを寄せる。

「兄貴よォ、こいつはぶっ殺していいよな。」
「ああ。何かと目障りな奴だ。手下どもになぶり殺させてしまえ。」

一気に伍兵衛の手下が勇猛に刀を構える。 ――全く、隙だらけだな。とは哂う。
薫が「流浪人逃げてぇ!」と悲痛な叫びを上げる。

「怪我をしたくない奴は下がりな。僕は無駄にけが人は増やしたくないんだ。」

最終警告。逆刃刀に手をかけて、すぐにでも闘えるようにする。
だが、男たちは勇んで「でるのは死人お前一人だ!」と斬りかかりにくる。
馬鹿な奴らめ。と毒づき、は道場を翔ぶ。丁度へ向かって駆けてきているから
標的たちはまとまっている。手早く片付く――。

「ぎゃああああ!!!」

断末魔の叫び――とまではいかないが、それに近い悲鳴が最初に上がった。
次の標的を定め、斬りかかる。勿論逆刃刀だから、死には至らないはずだ。
あれよあれよと言う間に、気絶した男たちで溢れかえっていった。
背後を突く必要もない。正面から向かい、斬りつけるだけで十分だろう。
比留間兄弟の驚愕の表情が一瞬視界の隅に入った。

やっと、手下たちの片づけが終わった。あっけなく倒れていった男たちは、どれも苦しみ、驚愕の表情。
その手下たちを見つめて、一つ重要なことを言い忘れていたことを思い出した。

「一つ、言い忘れていた―――」

出来れば言いたくなかった。とぼんやりと思う。
神谷薫は、言っていた。誰にでも語りたくない過去の一つや二つあると、だからこそ聞かないと。
でも人斬り抜刀斎の名を騙った奴が人々を不安のどん底に陥れた。何処か負い目を感じてしまう。
だからこそ―――言おうと思った。

「人斬り抜刀斎の振るう剣は「神谷活心流」ではなく戦国時代に端を発す一対多数の斬り合いを
 得意とする、古流剣術「飛天御剣流」こんな刀でない限り、確実に人を惨殺する神速の殺人剣さ。」

神谷薫に、それに喜兵衛と言ったか…とても驚いている。
はそのまま伍兵衛の反応を待つ。さあ、斬られるか。それとも逃げるか。

「面白い…。」

答えは―――どうやら、斬られたいみたいだ。自分の技量に自信があるのだろうか。
面白い。そういえば――自信家である師匠は今も元気にやっているのだろうか。ふとそんなことがよぎった。