喧嘩屋の男




「気に入った。俺の喧嘩買わねぇか?楽しい喧嘩になりそうだ」
「いや、エンリョしておく。」
「まあ気が向いたらいつでも買ってくれ俺は町外れのごろつき長屋にいるからよ」

男は人懐っこそうな笑みを浮かべて、くるりと踵を返した。
でかでかと背中に刻まれた文字を見て、たちは目を見開いた。

「惡…。」
「善い人なのか、悪い人なのか…」
「悪趣味の悪だな!」

三者三様の感想を述べ、男の背中を見守った。

(妙な男だな…。)

は男の後姿を見て、面白そうに微笑を浮かべた。



数日後
居間で弥彦と薫とまったりとした時間を過ごしていたは、ただならぬ”気”を感じて
飲みかけの茶を置いて、「来客だ。」と一言告げてスタスタ歩き出した。

「ちょ、ちょっと、どうしたの?」
「気を感じたんだ。全く隠そうとしないバカ正直な闘気。」

思い当たる人物が居ないわけでもない。そう、たとえば先日の喧嘩の男。
扉を開けて客の姿を確認し、はため息をついた。

「喧嘩、しにきたぜ。」

読みどおり、先日の喧嘩の男だった。
挑戦的な笑みを浮かべてたちを待ち構えていた。

「やっぱり君か。いったろ、喧嘩はエンリョする。」
「そうはいかねえんだ。これは喧嘩屋としての喧嘩。こっちも退くわけにはいかねえのよ。」

職業・喧嘩屋。

「――まして、相手が維新志士抜刀斎ならなおさらな。」

この言葉に、たちは目を見開いた。 あの男は正体を知っている。
何処から情報を仕入れたのか、それとも噂か。

「長州派維新志士抜刀斎。使う剣は古流剣術「飛天御剣流」。
 その剣の腕をかわれて「人斬り」として剣を振るう。働いたのは14〜19歳の5年間。
 前半分は文字通り「人斬り」。闇に蠢く非常の暗殺者。後半分は新撰組などの
 幕府方の剣客集団から味方を守る遊撃剣士として。本来日の目を見ないはずのあんたが
 今日有名なのはこっちの働きのためだな。」

弥彦や、薫でさえ知らないような細かなことを、さらさらっと男は言っている。
薫は驚いたようにを見るが、男が再び説明を始めたので口を紡いだ。

「そして天下の分け目戊辰戦争。第一線に当たる鳥羽伏見の役に勝利した後
 失踪。そして今は流浪人として生きる。」

総て言い終えた後、面白そうに男が笑った。は相変わらずの無表情で
男を見据えている。

「本当の喧嘩ってぇのは相手を知ることから始まる。知った上で闘い方を決める。
 わざわざ幕末の動乱の中心地だった京都に出向いて調べたんだ。大体当たりだろ?」

それならば納得がいく。あそことは、切っても切れない縁だから。

「それで、戦い方は決まったのか?」
「そこよ問題は!調べてもわかったのは大まかな経歴だけ。
 「飛天御剣流」ってのはどんな剣術か、とか。非情の人斬りが不殺の流浪人になった
 いきさつとか、肝心なところは一切わからねえ。わからねえからこうして正門から正々堂々
 真っ向勝負に出たってわけさ!」

なんともギラギラ輝いた目をしているんだ。とは思った。
まるで、喧嘩するのを楽しみにしているように。―――まあ、それは当たりだろう。
何故そんなに喧嘩したがるか。その真意がいまいち見えなかった。
とはいっても、どうせ影でコソコソと隠れている比留間兄弟が黒幕なのだろうが。
は暫く黙り込んだ後、口を切った。

「僕もわからない。」
「…あ?」
「弱いものいじめを、見るのもするのも嫌いな君が何故喧嘩屋なんてやってるんだ?
 何故悪一文字なんて背負うんだ?…本当は真っ直ぐなくせに、今の君はゆがんでる。
 なんで、そんなにゆがんでしまったんだ。――赤の他人である僕に聞く権利はないのかもしれないが。」
「何がって――」

口を開き、何かを伝えようとした。が、すぐに閉ざされて「やめた。」とキッパリ言った。
口許が面白そうにつりあがっており、は眉を寄せる。

「シケた話は喧嘩の前にするもんじゃねえ」

シケた話、なるほど。彼が悪一文字を背負うのは、それ相応の理由があるわけだ。
自分に消せない過去があるのと同じで、彼にもまた消せない過去がある。
ただそれだけのこと。

「まあ、どうしても知りたいってんだったら俺と戦って勝ちな。…ただこれだけは言っておく。
 俺は維新志士なんてのは総て俺の大嫌いな偽善者野郎だと思ってる。
 正義の名の下に好き勝手手前の都合の良いように世の中をいじくり、邪魔者は真実を
 歪めまでしておとして叩き潰す。四民平等なんて綺麗事は笑っちまうほどに嘘っぱちだ。」

確かに本当だった。四民平等というのは本当に表向きだけで、実際にも差別・不当な扱い
などは続いている。それは真実であり、事実である。古いものは未だに強いものに虐げられている。
未完成の維新は、まだ達成されていないのだ。

「そんな維新志士の中で最強と謳われる、伝説の「人斬り」を、俺は心底ぶっ倒してみてえのよ!」

気迫十分に男は叫び、薫と弥彦はその声に肩を揺らした。
彼は維新志士を憎んでいる。それはもう、驚くほど。それは、今の言葉と、表情を見れば
いとも簡単にわかる。

「わかった。受けてたとう。」

了解して、が男に歩み寄る。薫が止めようと手を伸ばすが、すぐにやめた。
彼は言い出したら聞かない。それに、ここは自分の出る幕ではない。自重して、自分を抑えた。