柔らかで冷たい唇




今日は雨。ザアザアと遠くのほうで降っている音が聞こえる。はこの店の店長の帰りを待っていた。
彼が留守の間の店番として、カウンターのイスに腰掛けて、商品である宝石を磨きつつ、扉を幾度となく見る。
もう彼が出てから何分経つのだろう。何時間も、何日も経っている気がする。ちらり、壁時計を見ると
まだ30分しか経っていなかった。はため息をつき、宝石を磨くのをやめた。

「早く帰ってこないかな…。」

ぽつり呟いた言葉は、誰の耳に届くこともなく、当然彼の耳に届く事だってなかった。
静寂が支配するこの空間で、いまだ帰らぬ人のことばかり考えてしまい、何に集中することも出来なかった。
気づけば彼のことを考えてしまう。(重症だなあ)と一人苦笑い。

年齢不詳、色素の薄い髪、長いまつ毛、形のいい唇、眼鏡が似合う美男子。
早く帰ってこないかな、早く帰ってこないかな、

ザアザアと耳に煩く響く雨音なんかききたくない。ききたいのは、あの人の声。見たいのは、あなたの姿。

不意に涙がにじんだ。
雨に打たれて寒がってないかな、なんて思うと、目頭が熱くなるのだ。
早く会いたい、そう思えば思うほど、涙が止まらなくなるのだ。
それもこれも、すべて彼のことを好きだから。

「切ない、なあ。」

彼は教えてくれた。
会えない時間の恋しい気持ちは、切なさに変わる。と言うことを。
だが、そのぶん会えたときの喜びは、何倍にでもなる。と言うことも、彼は教えてくれた。

そのとき、今までかたくなに開かれることのなかった扉が、小さな音を立てて開いた。
入ってきた人は、そう…

「アレックス!」

雨に打たれて全身ずぶ濡れで、艶やかな茶色の髪から、服から、水滴がぽたぽたと落ちる。
は急いでバスタオルを持って駆け寄り、アレックスに手渡す。ありがとうございます、と一言いい、
曇ってしまった眼鏡を適当な場所に置き、濡れきった身体を拭いていく。
無事帰ってきた愛しい人の姿に、引っ込みかけていた涙が堰を切ったようにとめどなく流れ始めた。

「うう〜…!アレ、ック、スウ…!無事で、よかっ、たああ!」
?」

子供のようにごしごしと溢れる涙を無造作に擦り、喘ぎながらも必死にアレックスに、伝える。
アレックスは驚いたように瞬きをするが、にっこりと微笑み、まだ水分は取れていないが、のことを
できるだけ優しく、でも思いが伝わるようにぎゅっと抱きしめた。

「心配かけてすみません。」

ひっくひっく、アレックスの胸で泣きつづけるの頭を、冷たくなってしまった手でゆっくりと撫でる。
すると、段々と呼吸も落ち着きを取り戻していった。

「な、なんかごめん…。でも、なんか、すっごい不安で。」
「大丈夫ですよ。、顔を上げて?」

言われたとおり、は顔を上げると、アレックスの端整な顔がそこにはあった。
髪は濡れてるし、眼鏡をしていない。やけに色っぽい。
その色っぽい顔が、徐々に近づいてくる。これは、キスをされる。そうおもったは、目を瞑り、
唇に降り注がれるであろう感覚を、今か今かと待ちわびた。




そして、柔らかで冷たい唇がの唇に触れた。

「ただいま。」
「おかえり。」

愛する人が当たり前にここにいることに、世界中に総てに感謝したい。