行き場のない涙




月が綺麗な夜、は布団には入っているが、目を開けて何か考えているようだった。
蘭丸はそんな彼女に気づいて、じっと見つめる。すると、視線に気づいた
視線が絡み合うなり、口を開く。

「ねえ、蘭丸君。大切なものって言うのは、なくなってから気づくんですってよ?」
「…僕はのこと、大切に思ってるよ。」
「はい。ありがとう。」

そういって笑った彼女の顔が本当に儚くて、触れれば壊れてしまいそうで。
どこか消えてしまいそうで…。蘭丸はの手を捜し、ぎゅっと握った。

「温かい。」
「当たり前じゃないですかー。生きてるんですもの。」

クスクス笑ったにつられて蘭丸も笑い、目を瞑った。
明日はどうしよう。に思いっきり甘えようかな、それとも訓練してに褒めてもらおうかな―――
そこまで考えて、蘭丸の意識は途切れた。


「…なくしてから気づくなんて、ズルいですよね。」

蘭丸が眠ったあとに、がポツリとつぶやいても目を瞑った。



二人が眠ってから数刻。明智光秀が謀反を起こしたと伝えられた。
見れば本能寺は炎上していて、こちらが不利な状況にあった。
も蘭丸も、武器を構えて必死に敵兵の侵入を防ぐ。

「へん!雑魚はどいてな!」
「光秀はきっと信長様と濃姫様が討ち取ってくれますよね!」
「勿論!」

本当は蘭丸は光秀を討ち取りたかったが、はまだ戦場に不慣れなので、蘭丸は常に傍にいる。
しかし彼女は凄い戦闘能力の持ち主で、すぐに刀の使い方を覚えてそこらへんの兵じゃ敵わない
レベルにまで進化したのだが…やはり蘭丸は心配なのだ。しかし、

「…!蘭丸君、信長様が危ないです…っ!ここは私に任せて、蘭丸君は信長様の所へ!」
を置いていけないよ!一緒に行こう、!」
「駄目です。ここで私が食い止めなくては、信長様がますます不利になります!」

確かにそうだ。ここで誰かが敵の侵入を食い止めねば、信長の状況が不利になる。
どうすればいい…。ここで一緒に食い止めていれば、信長自信が不利になる。
だがあっちで支援すれば、が危ない。

「蘭丸君!あなたの主君は誰ですか!?私ではありません!」

の一言に、蘭丸の意思が固まった。彼女は妻であり、主君ではない。
武士なら、主君を誰よりに考えるのが当たり前だ!

「わかった、!まかせたよ!」
「はい!では頑張ってきてください!」

蘭丸を笑顔で見送った後、多数居る光秀の兵を睨む。
なんとしてでもここは食い止めなくては…。刀を持つ手に力をこめ、精一杯の声と共に
敵兵に斬り込んでく。

「あなたたちにここは通しません!皆さんには死んでもらいます!」

何度も何度も兵を切り倒していくが、一向に数が減らない。これでは体力が持たない。
だんだん肩で息をするようになり、動きも鈍くなっていった。
そのときだった。

「くっ…!」
「悪いな、光秀様の命令でな。」

一人の男が、の背中から刃を挿入し、そして胸から刃が姿を現した。
溢れる鮮血が地面に勢いよくたれて、どす黒いしみをつくる。
刺した男が刃をぐいっと引き抜くと、はその場に成すすべなく倒れた。

ドクドクと脈打ちながら血が溢れる。を討ち取ったと言うことで、が相手をしていた
兵たちがつぎつぎに信長のほうへ流れていく。なんとかしてとめたい。だけど身体が言うことをきかない。
痛みは感じなかった。痛すぎて神経が麻痺してしまったのだろう。死ぬのかな?
死ぬのは怖くなかった。両親が死んだときに、既に死ぬことは覚悟していたから。
それよりも、遺された蘭丸が心配だった。―――後追いとかしないでね…。

最後に伝えたかったです…あ…いしてま…し………






謀反を起こした光秀を迎え撃ち、なんとか勝利した。
戦死者多数。本能寺は一夜にして残酷な戦場と化した。死臭があたりにたちこめ
思わず鼻をふさぎたくなる。蘭丸はそれほど酷い傷は負わずに済んだ。奇跡としかいえない。

は…?」

もう終わったのに、姿を現してもいいのに、の姿はなかった。
最後にと別れた場所へ向かうが、敵兵の死体ばかり。は居ない。

ー?どこー?」

殆ど焼けてしまった本能寺にいるのかな、と思い蘭丸は本能寺跡に向かった。



だが、の姿はなかった。負傷兵が沢山居るだけで、はいない。
本当に何処へいったのだろうか。

「蘭丸様…!探しました。」
「どうかした?」

軽症の方な兵が、蘭丸を見つけるなり駆け寄ってきた。
を探すのに夢中だった蘭丸は、少しウザったく思いながらも返事をする。

殿は…戦死された。」
「…え?」
「敵に背中をとられて、グサッとやられていた…。」
「おい、ジョーダンだろ。なあ!?」

兵の胸倉を掴んで、まさに鬼のような形相で詰め寄る。何のジョーダンだ?
そんなわけわかんねえジョーダン言ってると殺すよ?
兵は怯えたように顔を引きつらせて「本当です…。」と呟いた。
胸倉を掴んでいた手を離し、よろよろと地面にヒザをつく。

「嘘だろ…!!」

砂をギリッと掴み、辺りに撒き散らす。
さっきと別れた場所に…亡き骸があるってのか?
蘭丸は急いで別れた場所に向かった。



別れた場所付近には、先ほどは気にもとめてなかったが、随分多くの光秀の兵の死体が
築かれていた。凄い殺しっぷりだ。あのがこんなに殺すとは、と蘭丸は息を呑んだ。

「死体なんて…あるわけ…!?」

きょろきょろと死体の山を見ていると、見慣れた後姿が横たわっていることに気づいた。
辺りには血だまりができていた。背中には刃が突き刺されたようなあとがあった。

「嘘だろおい…!ジョーダンきついぜ…!」

死体をゆっくりと起こすと、そこには見慣れた顔があった。認めたくないが、だった。
口から血を吐いて、薄く目を瞑っている。嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!

「うわあああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

蘭丸の叫び声は虚し木霊し、行き場のない涙は頬を伝い、地面に零れ落ちていった。